フラッシュバックの引き金②


フラッシュバックとの格闘

いじめの被害を受けて、心の傷を負っている人は”フラッシュバック”と格闘を続けることになってしまう事を前回のコラムにて書きました。ベトナム戦争の帰還兵の場合には、戦場から生還する事が出来ても、心の中の戦場で戦い続けることになってしまいます。

いじめとフラッシュバック

“いじめ”の被害を受けた場合には、暴力を受けた結果として、他者から何かされるのではないかという恐怖感、酷い事、醜い事を言われ続けた事によって、その言葉がよみがえり、自己卑下が止まらなくなる、皆から無視され続ける事によって、孤独感、他者への不信感、少しでも話せる人が出来ると、いつかその人から嫌われるのではという、見捨てられるのではという見捨てられる事への不安感などがいじめの被害によるフラッシュバックとして起こります。

心の中でのいじめとの格闘は終わる事がない

このように、様々なフラッシュバックが”いじめ”によって起きます。また、フラッシュバック”は、様々な事が”引き金(トリガー)”になって起こることを以前のコラムにて書きました。そのため、ベトナム戦争の帰還兵が生還後も心の戦場をさまように、「いじめ」の被害者も、いじめが終わる、そうした環境から逃れる事が出来たとしても、心の中で、”いじめられる”という事が続いてしまいます。すなわち、心の中では”いじめ”との格闘が続いていくのです

いじめのトリガーはあらゆるところ見出される

加えて、”いじめ”を思い出させるような”フラッシュバックの引き金(トリガー)”は至る所にあります。外の誰かが、ふざけあっている、じゃれあっている姿がいじめのように見える(実際にいじめである事も)。ちょっとした指摘や注意が、とてつもなく自己否定の言葉に思えて来る。パソコンやテレビの映像の中での暴力的なシーンが自分がいじめられた時の光景に重なってくるなどです。

外の環境には、様々な引き金(トリガー)にあふれていて、なおかつ、内面では繰り返されるフラッシュバックにさいなまされる。そのような、中で生きていくのは、”安全な居場所”がどこにもない事を意味します。それどころか、安全な”場所”すらすら見つけるのが困難であるでしょう。それでも、いじめの被害を受けた人にとっては”安全な場所”が見つけらる事が必要になると思うのです

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