いじめは人生を奪う


いじめの悪影響は学校生活のみにとどまらない

  • 自分が中学生の頃、ある先生がいじめは大学生ぐらいの年齢のになれば、いじめは自然となくなるから心配したり、取り上げたりする必要はないと学年集会の時にいっていました。それを聞いた時、いじめの被害に会っていた自分は怒りを感じていました。また、何か違和感を感じていました。
  • その違和感は今になると、間違ってなかったと思います。例え、いじめが無くなったとしても、心の中でいじめは無くなっていないどころか、被害体感に襲われ続けるからです。
  • また、いじめのトラウマから、相手に必要な自己主張が出来なくなったり、無視をされる、嫌われる恐怖から常に相手の顔色をうかがったり、相手の意向に従ったりしてしまいます。そのため、自分に近寄って来る人が人を利用するだけの人だったりします。
  • いじめの負の影響は人生全般におよんでしまいます。もし、いじめの被害体験が何かのちょっとした引き金でよみがえるのならたちまち、いじめられの体験が心の中で繰り広げられます。
  • そうなると、人生を主体的に生きる事が出来ななります。まさに、師である光元先生が虐待について言うように、いじめもその人から主体性を奪うのです。
  • 嶺先生はホログラフィートークについて「自分を取り戻す」療法だとおっしゃていましたが、その言葉に準ずるなら、「おいじめは、自分を奪うもの」とも言えるかもしれません。
  • いじめの負の影響、トラウマは人生全体に及ぶ、だから、あらゆるいじめは中学の時のある先生が言っていたようにほおっておいていいものなどでは決してないのです。
  • 全てのいじめの被害にあった人が過酷な環境を生き抜いています。だからこそ、そのようなサバイバーの皆が幸福な人生を歩めるような世界になって欲しいと願わずにはいられません。

Follow me!


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


PAGE TOP