いじめの後遺症の孤独感と危うさ


いじめの「心の傷」は「人への渇望感」を植え付ける

これまでのブログで、いじめの「心の傷」は「孤独感」を植え付ける事を書きました。いじめの中でも「無視・シカト」は、人から見放される誰も相手にしてくれない、誰も話してくれない、親しくてくれないという苦しさを植え付け、この思いは、心の中のカプセルにしまいこまれます。そして、何か、それを思い出させる引き金(トリガー)に出会うと、その過去に引き戻されます(フラッシュバック)

人への渇望感は人に対して無防備にしてしまう

このような「いじめの影響による孤独感」はその人を無防備にしてしまいます。なぜなら、そのような感情がその人を支配すれば、孤独感が強くなり、相手がどんな人で、安全か危険かを直感的に測る、もともと、人に備わっている「警戒セしンサー」が働きづらくなるからです。

そのような無防備な状態では、安全な他者を見出しにくい

そのような状態の時に誰か、他者と関係を持とうとすると、普段、冷静な時には働く「この人は何か不味い事があるな」とか「この人に近づくと後で大変だな」などの直感が働かなくなる訳です。また、そういう状態の時には、すぐ親しくしてくれそうな人と関わりたくなるかもしれません。ですが、関わりとは、少しづつ、距離を縮めるものなのに、いきなり、すぐに「距離を縮めようとする」人は何か良くない意図を持っているかもしれません。また、そうした「良からぬ意図」を持っている人は必要以上に「愛想良く」ふるまうかも知れません。

そうした状態の時は、「危険な人」を遠ざけにくい

そのように、初めから「愛想よく」(馴れ馴れしく)振る舞う人は普段なら、違和感を持つかもしれません。ですが、「人への渇望感」の感情が強い時には、そうした「振る舞い」が「仲良くしてくれる」と思わせる。まさに、空腹の時に手を出してしまう、「体に良くないもの」と同じです。

そのような時には逆に人を警戒する事が大事

ですから、そのような時こそ、自身が無防備な状態にあると思って、他者への警戒アラートをオンにする必要があると思うのです。

Follow me!


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


PAGE TOP